
1920年代、アルゼンチンのブエノスアイレス南西、600キロほどのところにあるエペクエン塩湖のほとりに、ヴィラ・エペクエンというツーリスト村があった。この湖は塩分濃度が海水の十倍、死海の次に高いという特徴を持っており、この湖の治癒力を求め、観光客たちが次々と訪れ、街は大変栄えた。
ところがこの街を悲劇が襲う。気象変動による降水量の急激な上昇で、1985年、街のほとんどが水没してしまったのだ。それから四半世紀を過ぎた現在、今度は干ばつにより、再びこの街は姿を現しはじめた。
エペクエン湖の水には自然治癒力を高めるとして大変有名だった。伝説では、この湖は愛する人の苦しみ思って泣いた首長の涙でできたという。エペクエン湖、またの名を永遠の泉は、うつ病、リウマチ、皮膚病、貧血、糖尿病に効くともっぱらの評判だった。


19世紀後半、最初の入植者がこの村に到着し、湖岸に家を建てた。それから静かな山村はにぎやかなツーリストリゾートに変わっていき、ブエノスアイレスまでの鉄道もつながった。まもなく南米全体、世界中から観光客が押し寄せ、1960年代には、毎年2万5000人もの人々が病を治すため、塩水に浸りにやってきた。
村の人口は、1970年代に5000人を超えてピークとなった。ホテルやその他の宿泊施設、スパ、ショップ、博物館など300以上のビジネスが栄えた。
街が繁栄を極めた頃と同じくして、長期間にわたる雨がこの地を襲う。降雨量が多くなり、エペクエン湖の水量が増した。1985年11月10日、水をせき止めていた自然のダムがついに決壊し、大量の水が氾濫して、街のほとんどは水没していった。その後増え続けた水は、1993年まで続き、水深はさらに10メートルにもなった。



それから25年近くたった2009年、今度は乾燥した天候が続き、水が干上がり始め、町は再び姿を現した。だがもう誰もこの街に戻るものはいない。81歳のパブロ・ノヴァクさんだけが今はヴィラ・エペクエンのただひとりの住人だ。
枯れた木々の間に残る、ヴィラ・エペクエンのもと食肉処理場。2011年5月4日撮影

ヴィラ・エペクエンのただひとりの住人。家の薪ストーブの手入れをする81歳のパブロ・ノヴァクさん。“私はここでいい。たったひとりだが、新聞を読んだり、60年代から70年代に輝いていたこの村のことを思っているんだ”ノヴァクさんは言う。





塩の薄い層。ひび割れ、崩れた建物のもともとの塗装があらわになっている。






ヴィラ・エペクエン近くのカルヒューの墓地へと続く夕暮れの道。

25年近くエペクエン湖の湖底だった場所と、1970年代に同じ場所で撮られた写真を比べる男性。

これらの写真は、2011年、フランス通信社(AFP)の写真家ジョアン・マブロマタがヴィラ・エペクエンの廃墟を訪れた際、ノヴァクさんに話を聞きながら撮影したものだそうだ。
via:amusingplanet 原文翻訳:konohazuku
YOUTUBE動画で見るヴィラ・エペクエン
0 件のコメント:
コメントを投稿